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    ★Vol.603.注目!玄天経典を発刊する意義!

    私は、弘法大師から白龍虎俊というペンネームをいただき、現代版の玄天経典を、人々の「未来への導道しるべ」として出版し、多くの人に読んでいただくように命じられた。これは私に課せられた重要な役割の一つである。大師から「この書が多くの人に読まれることで、この世が正しい方向に向かう」というメッセージをいただいている。難解な言葉を用いている書は世に多いが、多くの人々にその内容が伝わらなければ何の意味も成さないのである。現在版の玄天経典は、光の民のメッセージを、多くの人に伝えることを主眼として書き記した。 光明方示が日々、光の民から通信を受けた内容が彼の口から発せられ、その言葉を録音し文字に起こし、その難解な内容をわかりやすい言葉を用いて記録している。大師は「光の民から指定された神社や寺、湖などの聖地を現地調査し、そのデータを大師から授かった馬鹿羅の手法を駆使して解き明かしていくこと自体が玄天経典そのものだ」と言う。その内容を書き記して世に送り出すのが、現在版の玄天経典なのである。大師が各地の聖地に、我々が解き明かすべき暗号やアイテムを隠し、一二〇〇年の時を経た現在、我々は、光の民のメッセージを受けて現地調査を行い、玄天経典に秘められた謎を解き明かしていった。弘法大師の壮大な光の民の計画である玄天経典が、一二〇〇年の時を経て、現在、このターニングポイントにおいて「我々の未来への道しるべ」として、現在に甦るのである。

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    ★Vol.601.注目!真実の歴史!八重垣姫は若い頃の上杉謙信!

    諏訪湖に伝わる伝説の八重垣姫は、実は、謙信の若き頃の姿だったと言われている。それはまだ当主になる前の少女の頃である。そこへ家を飛び出した不良の侍、浪人である若き頃の信玄と愛し合って子どもが出来た。この事は八重垣姫の周りにいる身内や家臣だけが知っており、このまま放っておけば信玄に知れて殺されてしまうと危惧していた。信玄を逃がすために自分の国である甲斐の国(現在の山梨県)に帰そうとして、八重垣姫が狐のお面をかぶって船頭に化け、船に菜種を沢山積んで、歌を歌いながら花を売る花売りの娘に化けた。そしてその中に女装をした信玄が入って、諏訪湖を渡して帰した。信玄は山梨県で、謙信は諏訪湖の向こう側にあった。当時はそこが上杉家の領土になっていたのだが、戦いで武田家に奪われてしまった。いずれにせよ、信玄と謙信の領地は隣り合っていたので非常に危険であった。その当時は諏訪湖が境界線の様なものになっていたのである。そのため、怪しまれない様に狐のお面をかぶってそこを渡って行った。関所では、信玄は、顔をやけどしているからと、狐のお面をかぶって声だけ出して何とかお願いしますと言ったが、番所の侍にとがめられた時に、私は女ですが、顔が焼け爛れて見せる訳にはいきません、申し訳ありませんと言った。「確かに声は女だ、男ではないから通って良し」と言われて通してもらった。これは子どもが出来た頃の話であるから、また後に会っている。一度帰ったが、戦いの中、謙信に戻って会っていたと思われる。それは謙信が十三、十四歳の頃であった。子どもが出来るまでお忍びで会っていたのである。そして子どもが生まれると、二人の子どもである信長を刀八毘沙門天という僧侶に預けた。その後、戦いまで二人は会っておらず、信玄はそこで謙信と別れてしまった。

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    ★Vol.598.注目!真実の歴史!諏訪湖の八重垣姫の伝説!

    八重垣姫の伝説というのが諏訪湖にあり、それが物語になっている。八重垣姫は謙信の血筋の妹とも言えるお姫である。武田信玄の甥か息子が、八重垣姫と共に伝説になっている。狐の導きにより女装し、どこかの地に逃げ、二人は逃げた地で巡り会って幸せに暮らした。この伝説は、信玄と謙信が成し得なかった夢物語ではないかと言われている。本来、二人はこういう結末になりたかったのだ。謙信の所の地を逃げ出す時に女装をし、信玄はそこの地を去り、自分を待つ甲斐の国(現在の山梨県)に戻って信玄を名乗った。女装をしたのは、本当は信玄の息子である勝頼が、武田家の兜を取りに来るために花売り娘の恰好をしたためである。敵同士であったが、潜入して狐の導きにより二人は会う事になっていた。そして諏訪湖から逃げる事が出来たという実際に残っている伝説である。息子であるとか娘であるとかは関係なく、若き頃の自分らの事を二人に託すため二人が結ばれる結末を考えて実現させた。しかし結ばれなかった信玄と謙信は、僧侶の道に入っていくことになる。