★Vol.584.注目!真実の歴史!富士山の噴火を遅らせた!

真田幸村が邪なる魂の徳川家康を滅する事によって、光秀が用意した家康と瓜二つの影武者に入れ替える事に成功し、徳川家に三種の神器が伝わる歴史が出来上がった。次の三人が親子であるという事実を示す証がある。信玄の「信」と謙信の「信」は信長の「信」である。刀八毘沙門天は、この三人には真実を伝えた。刀八毘沙門天は、勾玉を含む三種の神器を二人に渡し、上杉家に伝わる呪いを解くために諏訪湖に潜む魔を退治するように告げた。歴史では信玄と謙信の間は十歳近く離れていると言われているが、女帝をつくらねばならなかった折に、女性を男装させるとかなり若く見えた事から、こういう事が伝えられているのである。本当は信玄と同じ年、若しくは信玄より謙信の方が一つ、二つ上だったかも知れない。子どもを作った時は謙信と信玄は十五歳または十六歳であったので、その時に生まれた子どもが信長だった。この事を知られてはならないため、毘沙門天の使いである刀八という僧侶がそれを隠し、旅に出る事になった。毘沙門天の使いである刀八という僧侶は、「これからはずっと龍姫を探す旅に出る。お前達の姿が余りに哀れで仏と神の間に挟まった運命を背負っているからこそ、私はこの三種の神器をお前達に託す。これを使って、神の呪いを解きなさい」と言った。そのため、二人は毘沙門天の異名である「風林火山」を使って戦った。風林火山の意味は、風が、一二“ひふ”の“ふ”で“二”で、二人の御霊を現し、林は「輪」で、木が二つなので二つが一つの輪になる事を意味し、2人の絆が富士山の噴火を阻止するという戒めであり、絆がなくなれば噴火が起こることを意味する。つまり2人の絆で富士山の噴火を後送りにさせ結界を張る事を意味する。これにより江戸時代まで富士山の噴火が一時止まっていた。平安時代から江戸時代まで富士山が一度も噴火しなかったのは、そういういきさつがあったのだ。このような勾玉から信長の話という、一つの歴史のストーリーが出来上がる。

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